目次
タイガ-大鋸佳輝とは?
ここでは、私が現在ゼネラリストを目指すまでに至った道のりを、皆さんにお伝えします。
そもそも、ゼネラリストがどういった生き方なのかご存知でない方は、以下の記事をご覧ください。
まずは簡単に自己紹介させていただきます。
- タイガ(大鋸佳輝)
- 渋谷ベンチャー勤務の23歳
- 副業でライター(月20万)/マーケター/ブランディング/動画編集/広報として活動中
- 20代で金沢で起業を検討中
では、このような生き方・考え方に至るまでの道のりをお伝えします。
小学生時代:負けず嫌い&真面目な野球大好き少年だった。

小学生の時は、野球がとにかく楽しかったことしか記憶にありません。
4年生の時に、少年野球のチームに入部。
最初はキャッチボールもまともにできず、毎日毎日、コーチや監督に怒られて泣いていましたね。
ただ、その中でも誇れる部分が自分にはありました。それが、自ら率先して動くこと。
練習の準備は誰よりも率先して行っていましたね。
その様子を見ていたコーチに、「このようなことができる奴は上手くなる」と言われ、5年生になってからメキメキと上達。
6年生の時にはチームの主力になれました。ちなみに打率は.382だったと記憶しています。
「誰よりも率先して動く」「誰よりも負けづ嫌い」
この2つの要素が、自分を大きく成長させてくれました。
この考えは今でも大切にしています。
中学時代:チームをまとめることが難しいと知った。

中学でも野球を続け、1年生の秋からレギュラー。
2年生になった新チームでは副キャプテンを任されました。
ただ、この頃の私は、真面目過ぎました。
チームメイトが練習に来なかったため様子を見に行くと、教室でゲームをしていたため、真面目過ぎた私はその事実を先生に言ってしまったんです。
まあ、チームから浮きますよね。
それがキッカケで、靴を隠されるなどのいじめを受けるように。
「死んでしまいたい」「真面目過ぎる自分が嫌だ」
小学生時代に「真面目はいいことだ」と知ったはずなのに、中学生の時にその大切な思いが壊されました。
高校時代:地元強豪校の野球部を1年で退部。

高校では心機一転、甲子園を本気で目指そうと思い、地元で強い野球部がある高校に入学。
チームメイトの力の差に圧倒されましたが、なんとか必死についていきました。
しかし、あるチームメイトから「もっと真剣に練習しろ!」と頻繁に言われるようになりました。
私としてはいたって真面目に励んでいたのですが、そいつからはそう見えなかったらしいですね。
「ああ、面倒だ。辞めてしまおう。」
自分をまた否定されたような気持ちになり、簡単に退部を決意。
退部した後の2年間、やはり学校に居辛さを感じましたね。
「一体自分の何が悪いのか?」
そんなことを考えているうちに、大学受検が始まり、結局志望校には合格できず、金沢の私立大学に通うこととなりました。
大学時代:刺激・歓喜・転機の4年間【人生のターニングポイント】

なんとなく大学に入学し、なんとなく1年間講義を受けて、なんとなくバイトもした。
なんの刺激もない、つまらない日常。
「こんな日常を送るために、私は親に学費を出してもらっているのか?」
「情けない。自分を変えたい。刺激が欲しい」
「そうだ、学生団体に入ろう」
本当に唐突にこう思ったんです。
同じ場所(大学)に留まるより、刺激を求めて他大学の学生と交流し、有意義な学生生活を送るために私は動きだしました。
学生団体に4つ所属/すべての始まりはここから
大学2年生の5月。学生団体に所属しました。
atetoteというフリーマガジンを作成する団体で、能登の田舎に取材をしに行ったり、就職前に営業のスキルを身に着けることができるため、田舎好きの真面目な私にとって最高の居場所になりました。
▲作成したフリーマガジン
団体に所属した後は波に乗り、さらに3つの学生団体に所属。
多くの団体に所属したことにより、本当に多くの方と出会い、刺激を受け、また新たな1歩を踏み出すことができました。
「あの時、この学生団体と出会ってなかったら…」
人生のターニングポイントは、まさにここでした。
6ヶ月間の新規事業開拓インターン/人生で一番悩んだ時期
▲当時新聞に取り上げられた記事
多くの人との出会いがキッカケで、大学3年生の夏に6か月間の新規事業開拓を行うインターンをさせていただくことになりました。
やはり初めてのビジネス経験、多くの失敗と挫折と成功を繰り返しました。
ですが、その困難を乗り越えてことで、大きな自信に繋がったのです。
詳しいエピソードはここでは語り切れないので、また別の記事でお伝えできればと思います。
初海外/人生を変えてくれた仲間と経験
▲アンコールワット
長期インターンを終えた大学3年の8月。
インターンの勢いそのままに、友人から旅革命というプログラムを紹介され、面白そうだという軽い気持ちで初海外を迎えることになりました。
この旅革命も、私の人生においてかけがえのない経験になりました。
詳しくは旅革命のHPを見ていただきたいのですが、簡単に説明すると「海外で自分の中に革命を起こすプログラム」です。
こんな一言でまとめられるほどのものではないので、また機会があれば記事を書きたいと思います。
私が旅革命で学んだことは以下の3つです。
- 本気で関われる仲間の大切さ
- 挑戦するカッコよさ
- 自分をさらけ出すことの重要性
これまでの人生でも、これからの人生でも、私の軸になっていることを旅革命で学ばせていただきました。
何かに挑戦したいと考えいる学生の方は、ぜひ参加してみてください。今までの常識や考え方がきっと変わりますよ。
就活は順調に終了/地方大手企業に就職を決意

インターンと旅革命を経験し、いよいよ就活の始まり。
他の学生よりはわりと活動的に過ごしていたこともあり、就活に対する不安はありませんでした。
ベンチャーから大手企業まで5つの企業の選考を受け、ベンチャー1社、地方中小2社、地方大手1社から内定をいただくことができました。
結果的には地方大手企業への就職を決意し、私の就活は4月で終わることとなりました。
就活において重要視していた軸は3つです。
- 働いている人が生き生きしている
- 多くの人の身近な環境から幸せを提供できる
- 挑戦的な仕事ができる
内定獲得までノウハウや企業選びのコツについては、また別の記事でご紹介します。
田舎フリーランス養成講座【いなフリ】に参加

就活を早々に終えた私は実家でダラダラと過ごしていたのですが、そんな中テレビで「早期退職」「フリーランス」「年金減額」というニュースを見ました。
危機感を感じましたね。普通に就職して、安定した給料をもらって、老後はゆっくり暮らす。そんな今まで「当たり前」に思っていた生活を送れると根拠なく信じていたからです。
ですが、そんな当たり前は既に存在していません。企業に頼らず、個人で稼げるスキルを身につけなければいけないのです。
危機感を持った私は、学生団体の活動から関心を持った「ライター」の仕事に挑戦しました。
ちなみに、ライターの副業は誰でも簡単に始めることができますし即金性のある働き方ですので、副業を始めたいと考えている方にオススメです。
ライターを始めてから1ヶ月目はクライアントの要望に応えるだけで精一杯で、あまりライターの仕事の楽しさを感じることができませんでしたが、そんな中でも月8万円を稼ぐことができました。
普通の学生のアルバイト並みには稼げていたので、少しだけ自分に自信が持てたように思います。
さらにライターとしてのスキルを高めようと、全国各地で開催されている「田舎フリーランス養成講座」通称いなフリ(現在はWORK CAREERに改名)に参加しました。
結論だけお伝えすると、いなフリ期間中(約3週間強)だけで20万円を稼ぐことができました。
手取りで20万円なので、個人のスキルで新卒社会人よりも稼ぐことができましたね。
いなフリの詳しい様子は以下の記事からご覧いただけます。個人で稼げるようになりたい学生の方は特にご覧ください。
「好き」で生きるを体現したい/ゼネラリストになる

さて、小学生時代から就職までの私の人生を振り返ってきましたが、ここからはゼネラリストを志し、現在どのような活動をしているのかをお伝えします。
現在行っていることは以下の5つです。
- 広報・PR
- ライター・編集
- マーケター(Instagram運用)
- サイト制作
- 映像・写真撮影
詳しくはWORKのページをご覧ください。
このメディアで何度もお伝えしているように、20代は長い人生においてもっとも重要な期間だと確信しています。
だからこそ、自分が心動いたものにはとにかく挑戦してみて、その分野を伸ばしていくことが重要だと思います。
ただ、「やりたいことが分からない」逆に私のように「やりたいことが多すぎる」という人もいるでしょう。
そんな方々のために、私の経験則や知識をGENEMEDで発信し、少しでも皆さんの挑戦のキッカケに貢献したいと考えています。
私もまだまだ成長途中ですので、これから一緒に自己実現に向けて挑戦していきましょう!
コメントを残す